Still-Life: Topography-Iconography 1982

Ghirri, Luigi, edited by Paolo Constantini and Giovanni Chiaramonte, 1997, “Still-Life: Topografia-Iconografia (1982)”, Niente di antico sotto il sole: scritti e immagini per un’autobiografia, Torino: S.E.I., 47-8(=2017, “Still-Life: Topography-Iconography 1982”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 64-6.)

 

静物——地形-図像 1982」

 

 私の以前の作品の多くでは、現実と妄想、本質と外観の問題を扱っていました。私は現実がだんだん巨大な写真もしくはフォトモンタージュになっていると気づき始めました。この作品の鍵となる要素は、おそらくいつも私が持っていたあらゆるものを内包するような場所やモノ、すなわち、百科事典、博物館、地図に対する愛着です。私はまるで百科事典を閲覧するように制作しました。いくつかの奇妙な偶然によって、そのページは周囲にある現実の要素、すなわちモノ、影、外面、反映、記号、傷、時間の経過となるのであり、トランプで遊ぶように混ぜ合わせることができました。

 この沈黙する図形と現実の喧騒との対話において、イメージは別の完全に新しい意味を引き受けます。それらのそれぞれが、視覚を刺激する物質世界における一瞬と関連して存立しており、私たち自身の時間における歴史と存在の両方を証明します。

 この作品の文脈においては、写真は直接的な堆積物によって作用する言語となり、記号の世界が物質世界と合わさるときに起こる意味の変化のおかげで、それら二つの要素が結合するとき、元のものをはるか超えゆくある種の熟考が可能となります。

 写真は単なる複製物ではなく、カメラも物質世界を停止させる単なる光学装置ではありません。写真は再生産と解釈との差異の言語です。しかしながら、かすかに、写真は存在し、数限りない想像上の世界を生み出します。私たち自身の視覚によって完全に描写されているように見えるモノでさえ、一度表象されると、まだ書かれていない本の空白のページのようになりえます。

 歴史と地理学を一つにし、集合的で個人的な概念が混ざりあい、意図的に些末な写真が私たちの考え込んでいる他のものとともに見つかる旅——奇跡への憧れがともなった不変のものへの旅——にちなんで、私はこの作品を「失われたオリジナルを求めて」と呼ぶこと、あるいはそうと名づけることができるでしょう。

 すでに見てきたもののすべてを見ようとし、まるで初めて見ているかのように観察しようとする私の試みは、おこがましいか理想家のようにみえるかもしれません。しかし、これは私がもっとも興味を持っていることです。

 多くの写真にたいして、意図的な憂鬱を感じるかもしれませんが、そうだとしても私に代わってより強い孤立を要求するアイロニー接触によって、これを抑えることができます。しかし、私は遊びと献身の要素を忘れることなく、そして厳格な制限を設けることなく、最大限の自由を持ってこの作品に着手しています。

 その写真群は、すでに見てきた他の写真を参照しているがゆえに、私たち自身の記憶に保存されているような、揺れ動くイメージとなります。

 以前に「静物[1]」について話し、私の意見として、いくつかのモノは記憶を吸収することにとくによく適しているようだと言いました。それゆえに、私が撮影した場所やモノは本当の「記憶地帯(ゾーネ・デラ・メモーリア)」であり、つまり、現実が一つの大きな物語に変わったことを他のものよりも強く示す場所なのです。

 

Topographie-Ikonographie/Topography-Iconography, Camera Austria, No. 7 (1982), pp.23-33. 「コダクローム」の紹介

https://asaono.hatenablog.com/entry/2022/01/22/213518

の一部の繰り返し、その後「静物」と「地形‐図像」に関する注記が続く。テキストのオリジナルのイタリア語版は見つかっていないためイタリア語に翻訳されて出版された(Ghirri 2017: 234)。

 

[1] 「Still-Life (1975-1979)」のこと。

Still-Life 1975-1979 - asaono

Identikit 1976-1979

Ghirri, Luigi, 1979, “Identikit (1976-1979)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 84-5.(=2017, “Identikit 1976-1979”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 53-4.)

————, 2017, “Identikit”, Luigi Ghirri: The Map and the Territory, London: Mack, 302.

 

「アイデンティキット[1] 1976-1979」

 

 家の内側は、つねに「プライベートな」場所であり、住人の生活におけるもっとも親密で個別的な出来事の目撃者である。私たちは、写真の面に、突然の風に波立つカーテン、明るい部屋へと続く扉がある暗い廊下、薄暗い光のなかに見える整えられていないベッドを示している終わりのないイメージを思い浮かべるかもしれない。これらすべてのイメージにおけるやわらかく落ち着いた光は、間違いなく家に関係する隠れ家(シェルター)や庇護という甘美な感覚を暗示する。これらすべては、グロテスクで身の毛もよだつ出来事でいっぱいの恐怖の家――私たちの日常的拷問の監獄――を呼び起こす、むき出しの壁のある家、あるいは象徴的なモノが散らかった家というイメージと、すぐに容易に対照させることができるでしょう。この「良いもの」と「醜いもの」に関するステレオタイプの交替に対して、家庭空間の現実の住人たちはテレビに目を向けることで対応します。テレビは日常のドラマを盛り上げるために家の中に入ってくる地球外存在のようなもののように機能しており、日常の研鑽のみが「良い」と「悪い」についての調停を申し立てる弱々しい社会にとってはとても大切なのです。

 この写真のシリーズにおいて、私は自分の作品の精緻化や通常の慣例と所作という日常の鍛錬の部分のすべてがある自分自身の家を使う方法を強調したいと思いました。このセルフポートレートで、モノ(本、レコード、ほか)が、私の興味、知識や想像力、読書に費やした時間、音楽を聴くことや旅行を計画することの証拠となることについて私は考慮しています。それゆえに「アイデンティキット」は、私が生み出した作品と、私が将来実施するために計画する作品についての繋ぎ目として機能します。

 私はさらにまた、「自由な」けがされていない率直な視覚への信仰が絶対的に不可思議であると気づいたということについて述べたいと思います。実際には、媒体としての写真の選択には、私がこれまでに本にどのように取り組んでいるかを明らかにするということをわきまえておく必要があるだけです。私の視覚のあり方は、あらゆる他の可能性のある視覚と同様に、すでにイメージの歴史に属しています。

 基本的に、私はそれらの写真を、自分自身を表象する行為というよりも、自分自身を提示する行為として見ています。アルバムにおいて私たちが見るものはすでに過去のものですが、一方でその本は未来に横たわります。すなわち、私たちは明日であるようなものです。

 これが家族アルバムの記憶、すなわち私が住んでいる空間の物語、私が好む人びとのイメージ、ほかの個別的なイメージを通じてセルフポートレートを引き出さないことを決心した理由です。そのようなイメージは単純に過去の再評価、プルーストの誤解となります。そのかわりに、私は現在を証言する記号を通して自分自身を提示しようとしました。

 タイトル「アイデンティキット」は、構築された顔写真をあらわす言葉であり、より正確で詳細なポートレートが得られるまで、可能な限り更新されている状態にしようとするイメージ、典型的な顔の特徴から組み立てられたイメージ、目撃者が覚えている細部を統合しているイメージをあらわす言葉です。ここに作り出されたすべての写真は、直接的な経験から出てきていますが、かなり避けがたい、身の立て方についての意識によって取り持たれているものであり、それは思考と視覚が交差する場所である歴史の道において、しばしば他人に属しており、無視できないものです。

 私は直接的な経験が見つかるのは、まさにここ、反省的な関心、非経験の領域においてであると信じています。なぜなら、本のなかにいることは必ずしも思考の内向きのスパイラルを引き起こすわけではありませんし、むしろ、物理的世界を把握し、よりはっきりと見るための見晴らしの良い場所となりえます。

 

[1] バラバラの要素から構成された人物像、モンタージュ写真、あるいはモンタージュ写真作製装置。

In Scale 1977-1978

Ghirri, Luigi, 1979, “In Scala (1977-1978)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 83-4.(2017, “In Scale 1977-1978”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 51-2.)

————, 2017, “In Scale”, Luigi Ghirri: The Map and the Territory, London: Mack, 302.

 

翻訳「縮尺」

 

 私はこの作品をその解釈がすぐに思い浮かぶように「縮尺」と名付けました。縮尺は、モノの空間的次元であるモノの実際の寸法を記録したり確認したりすることに用いられる決まり事です。それは製図面から建築の段階へ移行するための媒体であり、あるいは逆に、物質世界をグラフのサイズに縮小させます。したがって、縮尺は差異をさし示します。

 この三次元の世界地図帳(写真展示会自体のこと)に、イタリア[リミニの、アミューズメント施設、イタリア・イン・ミニアトゥーラ]は、建造物、山、廃墟、街区、教会や湖のセットとして縮小されました。すでに「おもちゃの国」に関連して言及しましたが、縮尺の変化にはミクロとマクロの二つの両極端の可能性があり、多くの場合、乖離した状態の全体を示すために、並べて表現されます。

 時に、私たちはリリパット国のガリバーのように感じるかもしれません。しかしさらにまた、それと同時に歴史と領土にある歴然とした関係性を考慮すると、私たちは時間という範疇でとても広大な領土を縦横無尽に移動していることを忘れずにはいられません。神話、歴史的な場所、有名なランドマークの称揚は、愚かさを育む感性を作り上げます——すべてを一度に見るという逆説、歴史的時代も地理的距離も同様に引き裂くまなざしの逆説。それは巨大なフォトモンタージュとして現れます。背景にモンブランがつなぎ合わされた、シエーナのパーリオ[1]の〔カンポ〕広場は、例えば、私たちを引き込み、楽しませます。しかし、夕日がその光をマッターホルンの頂に放つと、ドロミーティ山脈がピンク色に変わり、疑わしさという感覚が忍び寄ります。

 おそらく、真実が隠された完全なフィクションであるこの空間そのもののなかにあるのでしょう。いわば、この場所、サンピエトロ大聖堂を見ているこの場所だけにあるのであり、私たちは、自分たちが持っている因習的スタイルによって表現されたイメージを参照するのではなく、現実に見られるのは、偽物を認識し、私たち自身の知覚とすることです。決まり文句(クリシェ)、コピー、ステレオタイプをむき出している広場の前で、カップルが自分たち自身の写真を撮っています。私たちはその公園を歩いていくときに、自分たちがこれまでにしてきた旅を喚起するスタイルを認識しているのであり、私たちは現実とその二重性へと道を引き返すのです——その逆ではありません。

 この再生産の終わりなき過程で、私たち自分たちの蜃気楼の厚みを計測するのかもしれません。そして、私たちの影がヴェッキオ宮殿に伸びる間、同じように現実がその二重性の上に投影され、それによりその正体を暴きます。その仮面はあまりにも明らかなので、そのままというわけにはいきません。その顔を見ることについて私たちを妨げるものはありません。

 この私たち自身の歴史的なものの表象において、差異がはっきりとその前面に現われているのであり、イメージと記憶の層は探りを入れられた現実の要素を隠すことはできません。こうした絶対的非空間的・非時間的ではない歴史的単一化において、案内標識は本の見出しや地図記号や観光案内のように機能します。

 それらのミニチュアの山は縮尺されえませんし、私たちはそれらの建造物の内部を訪れることはできませんが、私たちはまだ[ここ公園で]ベンチに座り、時間を過ごしたり、自分たち自身のなかをさまよい続けたいのかもしれません。そして、そこに多くのイメージが置かれていることに気づきます。いわば、自分たちの想像上の旅をまだまだ歩きまわり、私たちは一連の足跡をたどるのかもしれません。そして、山と同じ高さまで到達し、それらの向こう(壁の裏側)を見るのです。

 したがって、見ることは、探りを入れられた別のイメージを見ようとするまなざしをともなった横断的読み取り、交差する歴史、芸術、自然となります。ここ、一人の長い影がその広場全体を覆うであろう場所――この偉大な屋外の劇場では――その場限りで、演者たちは舞台背景よりも背が高いのです。

 

[1] イタリアのシエーナで開催される競馬のこと。

‘∞’Infinity 1974

Ghirri, Luigi, 1979, “‘∞’Infinito(1974)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 82.(2017, “‘∞’Infinity 1974”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 49.)

————, 2017, “Infinity”, Luigi Ghirri: The Map and the Territory, London: Mack, 206.

 

「‘∞’無限 1974」

 

 私は「自然」写真が好きではありませんでした。これは、自然がもっとも神秘的で形而上学的な側面でポートレートされるすべてのものから、色や記号の単なるかたまりへの意味の抽象的強制にまで、あらゆる種類の自然写真にあてはまります。それらのイメージや「自然な瞬間」を捉えるための必死な試みに、私はいつも写真的言語それ自体の核心そのものに迫る巨大な逆説に遭遇していると感じていました。カメラ・オブスクラの発見のルネサンス――都市の知的サークルで起こったもの——は「自然の」視覚が構築物であったということを明らかにしました。彼らが発見したそのイメージとは、外側の世界の視野が小さな穴を通過したとき、閉じられた空間のなかで逆さまに形成されるものでした。この発見はそれまでの表現している、または知っている「自然」の景色を否定しました。

 写真の歴史には素晴らしい事例がありますが、私の信念とは矛盾するようです。それらのエピソードが、美的現象へ、あるいは閃きや啓蒙ではなく絵画や彫版術の視覚的言語へと連れ戻す部分的な事例、つまり「捉えられた瞬間」にすぎないこともまた事実です。

 私は一年間毎日空を撮影することに決めたとき、それとともに自然現象の翻訳不可能性に立ち向かおうとしました。『無限』における一年間の合計365枚の写真のシークエンスは、空のイメージを構成するには不十分です。反復や、計画された繰り返しや連続による写真的言語をもってしても、自然界のイメージを捉えるには十分ではないのです。

 したがって、『無限』は空の潜在的色彩の世界地図帳を構成しています——365の起こりうる空。カレンダーのような、記録文書化のより正確な形式に従ったとしても、私が制作を完了した1974年という太陽年は、後から考えても分類したり認識したりすることが不可能なままでした。

 それゆえに、この作品は写真の限界を表現します。それでも、写真が価値や意味を得るのは、物質世界、自然、人間におけるこの不可能な境界のなかでのことです。絶対的な言語ではなく、現実の非閉鎖性を私たちに認めさせることによって、自然性と自律性を見出すのです。

Italia ailati 1971-1979

Ghirri, Luigi, 1979, “Italia ailati (1971-1979)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 77-8.(2017, “Italia ailati 1971-1979”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 43-4.)

————, 2017, “Italia ailati 1971-1979”, Luigi Ghirri: The Map and the Territory, London: Mack, 206.

 

「イタリア・アイラーティ(周縁的なイタリア) 1971-1979」

 

 電車で旅をしているとき、私は車窓から見える風景と、車両内に掲示されたありきたりな場所――ピサの斜塔、ロマネスクの大聖堂、ルネッサンスの都市、山、湖、海岸線の松林――を写している写真とのギャップを楽しんでいます。

 その旅はしたがって二つの部分からなります。すなわち、窓から見えるものと車両の内側で見えるもう一つのものです。おそらくそれは、私がこのイタリアをめぐる旅「イタリア・アイラーティ[1]」と呼んだこの観察の基礎にありました。私は車窓からの旅のイメージと、車両の内側に掲示され並んでいるイメージの両方を記録しようとしました。その結果はイメージのサンドウィッチのようなものでした。公式の、つねに存在している、変化のないイタリア、その他のものとともに、スピードによってぼやけて、それはまるでほとんど重要性のないものでした。しばしば私たちは自分たちの周りの世界でそうした二つの対照的なシーンの合成を見つけるかもしれません。たとえば、塔の胸壁[2]が証明する過去の栄光、その上を飛んでいくツバメの群れ。しかしそれらは青空を背景にしたコンクリートの塀を隠すことはできません。

 私の目的は日常の陳腐さの証明を提供することではありませんし、キッチュ[3]を取り出すことでもありません。どちらかと言えば、知ることや解読することの欲望や、それらの密接な関係や差異についての何かを発見するための二つの対照的な眺めを一緒に持ってくることに私は駆られています。〔イタリアの〕過去はウルビーノ〔のドゥカーレ〕宮殿のような形をした鳥かご[4]や、ローマのショーウィンドウにおけるダヴィデ像の並びによって象徴されるかもしれませんが、多くのものが「売り出し中」ではないことをおぼえておくこともまた重要です。そして、都市の郊外やその周りの丘では市場がどこにでもあるわけではありません。

 私は、200枚ほどの写真で構成されたこのシリーズで、しばしば私からは完全に無関係であるようなモノや歴史や思想の重層の結果としての風景を調査することに着手します。私が読み取ることのできないものは、非常にありふれたものかもしれません――そこにはその地域と混ぜ合わせられたあまりにもたくさんの個別的な記憶や、風景をはっきりと見ることと解読することを中断させる追憶があります。

 現実という側面は過去の残骸に接ぎ木されます——それら自体にある演劇っぽさの目撃者として。そして、それらの構成要素は、歴史が省略されたというのか、幻覚や奇抜さの象徴のように突然現れるかのようです。それでもこの場において、すべてのその一致と断絶とともに、私たちは私たち自身のアイデンティティの構成要素を判別するのかもしれません。

 多くの人は「日常の陳腐さ」として、あるいはキッチュへの関心として、これらのイメージを読み取りますが、私はどちらにも興味がありません。私は際限のないキッチュのカタログからモノの未知の領域を推定することにも、非常にたくさんのモノが、排他的なメカニズムと軽蔑の被害者というようにすでに格下げされていることにも、興味がありません。私の考えでは、「日常の陳腐さ」は無批判のまなざしの一部として見られるのみです——過去を引き延ばす態度、コード化された「真実」のみの崇拝。したがって、キッチュは表現されたモノではなく、無批判にモノを威厳のないもののゲットーへ格下げする行為——まさに見せ物小屋のひとつのアトラクションのように見られる行為です。

 私はキッチュとして描かれるモノについて撮影することを選びましたが、なぜならそれらのなかで重要な正反対のものの組み合わせをしばしば垣間見るかもしれないからです。コピーと本物とのミスマッチ、あるいは過去と現在におけるイメージへの願望とのミスマッチ。結局のところ、もしも私たちがその世界の語源学(エティモロジー)を明らかにしようとしていて、その初期の意味が縮尺の変化、重複、非現実、等しい反復、アナロジーイデオロギーと関係があるというのならば…さらにまた私たちはすべての写真を不可避のキッチュとして分類しないでしょうか?

 現在の作品はさらにまた「領土のアイデンティティ」に関する企画の一部であり、私の意見としては、それは採用された項目を対処することなしに実践することはできないものです。それは過去、私たちの都市の構造、私たちの風景、私たちの周りのイメージにおいて、それらの項目を見ることによるのみです。そしてそれらを現在に関連付けることによって、私たちは識別したり、検証したり、正体を暴いたりすることができるのかもしれません。そして、そのときに「風景」をデザインできるのかもしれません。

 

[1] 「なぜ〈Italia ailati〉という名前にしたか分かりますか? Italiaを逆から読むと《ailati》になるからです。《ai lati》は、少数派のイタリア、著しく変化して行く風景や暮らしのなかの周縁的なイタリア、という意味を示していました」(Ghirri, Luigi, A cura di Giulio Bizzarri e Paolo Barbaro con uno scritto biografico di Gianni Celati, 2010, Lezioni di fotografa, Mecerata: Quodlibet.(=2014,萱野有美訳『写真講義』みすず書房,67.)。

[2] 城の最上部にある、通路などで兵士を防御するための背の低い壁面。

[3] 醜い芸術や装飾品やデザインで、スタイルのない、まがい物であると多くの人が認めているが、一部では楽しまれているもの。

[4] 英訳ではここは「minaiture trinket」となっているが、原文や原著掲載図を参考に訳した。

Photographs from my Early Years 1970

Ghirri, Luigi, 1979, “Fotografie del period iniziale(1970)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 63-4.(=2017, “Photographs from my Early Years 1970”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 20-2.)

————, 2017, “First Photographs”, Luigi Ghirri: The Map and the Territory, London: Mack, 58.

 

「初期の写真」

 

 私が最初どのように写真にアプローチしたかを説明するよりも(私は他のものと変わり映えのない話を思い浮かべます)、私が作品全体に与えようとしている「感覚」を明確に述べる方がよいと思うので、私の本『コダクローム』の出版の際に書いたものを引用します。[・・・]

 そして私の作品の全体を参照し、少しの基本的な説明を加えたいと思います。

 私は様式[スタイル]として普通に参照されるものに今まで一度も興味を持ったことはありません。様式はコード化による読み取り方です。私は写真がコードのない言語であると確信しています。制限のようなものというよりはむしろ、写真はコミュニケーションの拡大や発展なのです。

 写真的「様式」は、写真を言語として選択することそのものに内在しており、それは世界が水平線や垂直線によって不可避に制限されるという見方、すなわち、フレームのなかに捉えられるというものです。この感覚において、写真はつねに引き算や、あるいは何かの喪失の感覚や、フレームの外側にある何かを示唆しています。

 私は直接的に「私が表現しようとしていたシーン」につねにアプローチしてきました。何らかの傾きや消失点[1]、割り込みや漏れを避けるために被写体の前に真っ直ぐに立ちます。そのうえで、私はいつも自分の作品を一般的な現像所で現像し、印刷してきました。そしてコレクターズアイテムの生産や、何か視覚的補正を試みることには今まで一度も興味を持ったことがありません。形式的で美的な表現方法は、写真それ自体の行為のなかに含まれています。いくつもの現像所が、表面コーティング、トーン調整、フィルター補正のようなサービスのラインナップを提供しているあいだ、私は決してこうした方法で自分の作品を作り直したり、さらなる「極限の」視覚的成果を探し出したりすることに何の興味も持ちませんでした。

 私はカラーで写真を撮ります。なぜなら現実の世界は色彩のなかにあるからです。そしてカラーフィルムが発明されているからです。いわゆる「代替技術」とか「暗室作業(ダークルーム・エクスペリメント)」は、いつもアマチュアDIYを思い出させるのですが、時代遅れの写真制作過程に立ち戻るためとか、試しに反技術的方法に挑むためといったかなりばかばかしい試みをともなっているものであり、これは写真のアイデアそのものに反します!

 私はだいたい標準レンズを使用し、ときどき広角レンズか中望遠レンズを使用します。私は何か特別なレンズやフィルターは使いません。なぜなら、私は自分の目的に合わせて対物レンズ[2]を置くことが好きではないからです—とにかく、私の目的は決して光学的なものではなく、むしろ他の何かです。

 私は流行やジャンルにとらわれないように心がけてきました。このような理由で、思索と異種交雑の継続的な過程を可能にするために、私は色々な方向に対して同時に取り組むことを試みました。私の目的は写真[3]を作ることではなく、むしろおそらく写真を構成すると同時に図表(チャート)地図を作ることです。

 

[1] 透視図法(遠近法の一つ)における消失点。この画法では近くにあるものは大きく、遠くにあるものは小さく描くが、遠くのものが小さくなっていく延長線上に、それが尽きて消える点として設定するものが消失点である。

[2] 原文l’objettivoに該当する部分は英語訳でaims and objectivesとなっているが、目的と対物レンズの両方の意味をもつからである。

[3] 本文で太字でになった「写真」、「図表」、「地図」は英訳版で大文字である。

0.25km 1973

Ghirri, Luigi, 1979, “Km. 0,250(1973)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 70-1.(=2017, “0.25km 1973”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 31-2.)

————, 2017, Luigi Ghirri: The Map and the Territory, London: Mack, 148.

 

「0.25km 1973」

 

 私は1972年に始めたこの作品で、公有地における歴史的に新しいイメージの自然(大きさと反復する規模の両方に関して)を強調しようとしました。都市環境に浸透する広告という公然と侵入する自然について考慮することは別として、私はこの現代的図像の連続的で反復的な自然を調査するために、主となる作品群のなかの一シリーズを用いることに決めました。なぜなら、とても難解なメッセージを届けるために使われる時でさえ、そのイメージはまったく同じ方法で考えられ、構築されるからです。

 その〔調査〕結果とは、私たちの時代のためのフレスコ画であるということであり、表面的には、私たちがたいへんよく知る教会や公共の建物にあるフレスコ画の類似物です。都市の壁につねに存在するイメージ、それらの連続において、私たちはおそらく私たち自身の生活を読み取ります。しかしながら、私たち全員が識別できるもの(教会のフレスコ、中世の宮殿、など)によって以前から存在し共有されるリアリティを表示することの一方で、そこで私たちが読み取るものは、その裏側や、先験的なものの反映や、注意深くプログラミングされた生活です。

 (展示する)それぞれのイメージのなかで、私は広告イメージの連続する自然と視覚への麻酔投与〔感覚喪失〕の習慣を暗示します。しかし同時に、私はイメージの似ているものの組み合わせのなかで、そのわずかな変化と配列を明らかにすることに興味を持っています。これらの首尾一貫しつつ、つねに可変的な要素において、私たちは「特集された」製品それ自体の自然の何かを見ることができます。それは、その本質において、均一で取り替え可能であるということです。何よりも、機械的なまなざしの単純な繰り返しを避けることが重要なのです。

 先にフレスコ画について話しましたが、なぜなら私が、その頭のなかでフレスコ画の意味や意図をめぐり、私自身の作品を解釈するための鍵を見つけようとしているからです。フレスコ画が、個別的かつ集合的なアイデンティティの要素であったのと同様に、「0.25km」にわたって繰り返されるトリプティク(中世西欧で生まれた三枚組の祭壇画であり、ルイジが写真収集した三枚一組の街頭ポスターのこと)は、私たちに個別的かつ集合的イメージを提供します。しかし、フレスコ画の場合、その使用の時にはさらにまた意識と再認識の活性化がありました。イメージのある現代の壁の場合、一般的に車の窓から読み取られ吸収されるので、それはむしろ加速する動きのなかで映画の一部を観ることに似ています。その枠組み—受動的に受けとられるぼんやりとしたイメージの連続—は私たちの批判的能力を非活性化し、偽りの認識のみに導きます。これを理由に、私はこの作品を写真のシークエンスとして提示することを選びます。さらなる映画的アプローチはそれらの効果を復権させるだけであり、解釈への何らかの試みを妨害します。私の他の作品では、単純に映画的言語との類似性を避けるために、私はいつでも可能なときにはシークエンスの使用をつねに制限しようとしました。

 私が生み出したシークエンス—とくに「カタログ」—は連続性の感覚を特集し、つねに変化しうるが首尾一貫するものを強調しており(そして逆もまた然り)、そしてそれはこの理解の流れと写真的解釈においてのみに真価が認められうるものです。私はその形式のすべてにおいて、時間に基づくモンタージュを避けました—なぜなら単純にそれは映画的言語にあたる部分であり、それ自身の連続性の増大よりもむしろ、二つの固定された瞬間がその前と後で意味を見つけるところだからです。