Photographs from my Early Years 1970

Ghirri, Luigi, 1979, “Fotografie del period iniziale(1970)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 63-4.(=2017, “Photographs from my Early Years 1970”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 20-2.)

————, 2017, “First Photographs”, Luigi Ghirri: The Map and the Territory, London: Mack, 58.

 

「初期の写真」

 

 私が最初どのように写真にアプローチしたかを説明するよりも(私は他のものと変わり映えのない話を思い浮かべます)、私が作品全体に与えようとしている「感覚」を明確に述べる方がよいと思うので、私の本『コダクローム』の出版の際に書いたものを引用します。[・・・]

 そして私の作品の全体を参照し、少しの基本的な説明を加えたいと思います。

 私は様式[スタイル]として普通に参照されるものに今まで一度も興味を持ったことはありません。様式はコード化による読み取り方です。私は写真がコードのない言語であると確信しています。制限のようなものというよりはむしろ、写真はコミュニケーションの拡大や発展なのです。

 写真的「様式」は、写真を言語として選択することそのものに内在しており、それは世界が水平線や垂直線によって不可避に制限されるという見方、すなわち、フレームのなかに捉えられるというものです。この感覚において、写真はつねに引き算や、あるいは何かの喪失の感覚や、フレームの外側にある何かを示唆しています。

 私は直接的に「私が表現しようとしていたシーン」につねにアプローチしてきました。何らかの傾きや消失点[1]、割り込みや漏れを避けるために被写体の前に真っ直ぐに立ちます。そのうえで、私はいつも自分の作品を一般的な現像所で現像し、印刷してきました。そしてコレクターズアイテムの生産や、何か視覚的補正を試みることには今まで一度も興味を持ったことがありません。形式的で美的な表現方法は、写真それ自体の行為のなかに含まれています。いくつもの現像所が、表面コーティング、トーン調整、フィルター補正のようなサービスのラインナップを提供しているあいだ、私は決してこうした方法で自分の作品を作り直したり、さらなる「極限の」視覚的成果を探し出したりすることに何の興味も持ちませんでした。

 私はカラーで写真を撮ります。なぜなら現実の世界は色彩のなかにあるからです。そしてカラーフィルムが発明されているからです。いわゆる「代替技術」とか「暗室作業(ダークルーム・エクスペリメント)」は、いつもアマチュアDIYを思い出させるのですが、時代遅れの写真制作過程に立ち戻るためとか、試しに反技術的方法に挑むためといったかなりばかばかしい試みをともなっているものであり、これは写真のアイデアそのものに反します!

 私はだいたい標準レンズを使用し、ときどき広角レンズか中望遠レンズを使用します。私は何か特別なレンズやフィルターは使いません。なぜなら、私は自分の目的に合わせて対物レンズ[2]を置くことが好きではないからです—とにかく、私の目的は決して光学的なものではなく、むしろ他の何かです。

 私は流行やジャンルにとらわれないように心がけてきました。このような理由で、思索と異種交雑の継続的な過程を可能にするために、私は色々な方向に対して同時に取り組むことを試みました。私の目的は写真[3]を作ることではなく、むしろおそらく写真を構成すると同時に図表(チャート)地図を作ることです。

 

[1] 透視図法(遠近法の一つ)における消失点。この画法では近くにあるものは大きく、遠くにあるものは小さく描くが、遠くのものが小さくなっていく延長線上に、それが尽きて消える点として設定するものが消失点である。

[2] 原文l’objettivoに該当する部分は英語訳でaims and objectivesとなっているが、目的と対物レンズの両方の意味をもつからである。

[3] 本文で太字でになった「写真」、「図表」、「地図」は英訳版で大文字である。