The Vanishing Point 1987

Il punto di scomparsa, typewritten, read on the occasion of the roundtable discussion making the opening of the exhibition ‘Dialectical Landscape/Nuovo Paesaggio americano’, Palazzo Fortuny, Venice, April 1987.

「消失点」,タイプライターによる原稿,ヴェネツィアのフォルチュニイ宮で開催された「弁証法的風景/新しいアメリカの風景」展の開会式で行われた円卓会議の際に読まれた, 1987年4月.

Ghirri, Luigi, edited by Paolo Constantini and Giovanni Chiaramonte, 1997, Niente di antico sotto il sole: scritti e immagini per un’autobiografia, Torino: S.E.I..(=Ghirri, Luigi, 2017, “The Vanishing Point 1987”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 135-8.)

 

「消失点 1987」

 

 アメリカの写真について話すとき、特に今さまざまに新しい写真(フォトグラフィー)、新しい地形図(トポグラフィー)、新しい風景写真などと呼ばれているものについては、それに関係する問題を取り扱わせないようにする誘惑があり、認識できる参照範囲ではつねに蔓延っています。

 いっぽうで、アメリカの写真が明らかにするその歴史の分析、潜在的な引用と私たちが出会う〔ウォーカー・〕エヴァンス、〔ロバート・〕フランク、〔リー・〕フリードランダー、さらにさかのぼって、〔エドワード・〕ウェストン、〔ティモシー・H・〕オサリバン、〔ウィリアム・ヘンリー・〕ジャクソンらの名前―これらがゆえに、現在の写真家の作品はそれらの巨匠らの作品の単なる高品質の再生産としてレッテルを貼られています。その他方では、困惑するような肖像への信仰が、お世辞のような形容詞とともに議論され、その形式的な完璧さが称讃されています—ヨーロッパの写真では到達困難な表現の正確さと明快さによっていつも下支えされています。

 すぐにこのほとんどは記述的、分析的そして超現実的(ハイパーリアル)な写真に関する議論を展開し、そしてつねにそのトピックは、存在にある空虚、環境上の大規模災害、地球の苦難、解決しがたい自然と人工物との相違、あらゆる空間における人間の不在、大か小か、喪失への補填、そして孤独なアメリカ大陸に向けられます。アメリカの風景にある乱雑な空間の引用、「路上」から引用する詩のための背景の提供の華麗さは、必須です。グラーツ[1]での、アメリカとヨーロッパの写真についてのシンポジウムのために書いた文章のなかで、私はヨーロッパの思想に則った時間と歴史の考え方にある本質的な差異を下敷きにし、アメリカとヨーロッパの写真の根本的な差異とはどのようであるかについてと、私たちが「決定的空間」と呼びうるものとは対照的なものにあるアメリカの写真における強迫観念を指摘しました。いいかえれば、アメリカの写真は与えられた場所の解釈の特権化において、それ自体の正確なアイデンティティを見いだしているのかもしれないというアイデアを提示しました。

 それらの引用の脇で(それらはおそらく適切なのですが)、〔ウィリアム・〕エグルストン、〔スティーブン・〕ショア、〔ジョン・〕ゴセージ、そして〔アンセル・〕アダムスらが、どうやらまた別の視点を私に提供しつづけているようです。彼らの形式的な側面を超えて、それらアーティストの写真において今日もっとも私に興味を抱かせるものは、起こっている突然変異への感覚(センス・オブ・ミューテーション)を彼らが呼び起こす方法です—その世界の感覚、もはや居住不可能で知りえない感覚、ミステリアスに未知となった感覚、まるでマジックによる感覚、たとえそのまなざしが親しみのある場所を横目に動いているとしても介在する感覚。

 これは、空想科学(サイエンス・フィクション)を、あらゆる夢と空想のユートピアがすでに現実化してしまった私たちの世界の改作(ヴァージョン)を描きだすことを思い出させます—誰も見ていないうちに—まるで世界の皮膚を気づかれずに変えたかのような静かな突然変異の一種が起こったかのように、それは同時に可視的で不可視的にするために、まるで並外れた策略がアイデンティティを類似物(アナロジー)に転じさせたかのように。おそらく、それは私がもっとも魅了されるものであるアイデンティティと類似物とのあいだの溝(ギャップ)であり、まるでそれらは私たちと私たちが観察する風景とのあいだ、世界とその表象とのあいだにあるクモの巣のように繊細で薄い映画のフィルムのようです—逆説的ですが、そのものは私たちにはっきりと見せることをやめません。それどころか、めまいと正確さ、時間と空間とのバランスの中心点となります。

 私はこれがこの世代の写真家と過去のアメリカの写真家、あるいは少なくともそれ以前の世代との絶大な差異であると信じています。過去の写真家は、壮大な叙事詩の物語、発見のスリル、そして暴露の不思議さを信頼していました。その世界は彼らの目の前で二重に自由でありながら汚染されずに成立しており、黒い布の下からガラスの長方形のなかで見られ捉えられたりすることができる無垢な世界でした。

 この二重の自由は、偉大な寓話の創造、石を一つ残らずひっくり返して調べられたような土地の雰囲気(ゲニウス・ロキ)[2]への壮大な探究、フリードランダーの写真の表面に散らばる破片のなかで続く冒険、そして〔ダイアン・〕アーバスの閉ざされた人間性のために許されたのであり、彼〔アーバス〕のディズニーランドの城の夜景はアメリカの写真の寓話へのもっとも感動的なものと絶望的な結末を提示します。

 しかしながら、70年代は他の物語にもっとひきつけられているようです。なぜなら、彼らが目の前にしていたものが、もはやアイデンティティを定義したり、それを求めたりするという悩みの種ではなくなったからです。また、完全に、「歴史」に帰属するということや、分散する地理学の視覚的な記録を作るということでもありません。どちらかといえば、70年代の写真家は、前例のないアメリカ、という正反対の問題を抱えています。すなわち、彼らは新しい視覚的アルファベットを作り上げることを必要としているのであり、なぜなら、写真自体、映画の多くとともに、すでにそれらの地理学のまわりに十分な密度の「歴史的イメージ」ができあがっているからです。

 おそらく、アメリカの写真に初めて、展覧会のオーラがいきわたります—それら自体の場所が美術館のガラスケースになるとき、そこで風景とモノは白日の下にさらされる考古学的発見として見られます。しかし何よりも、説明に信用を、視覚と認識の権力に信頼を展示するのです。

 究極的には、それは現代アメリカの写真の贈り物のひとつを読むことができる場所の露見と発見とを結ぶ通路です。そしてこの多大な努力を要する任務で、70年代のアメリカの写真家は、特定のエピソードの偉大さを考えると多少の尊敬の念が無効になる可能性のある伝統を快く引き受けます。その挑戦に挑むことで、彼らは過去を統合することや、まなざしと視覚、アーティストの内部世界と描かれた外部世界を単一化する再開発の企画において、表現のさまざまな方法と意味を敷衍することを試みます。

 私はまた批判的な解釈の提供が可能であると信じています。あきらかなことに、いつもこの構成要素があり、そしてアーティストの何人かはそれを彼らの書き物で引用します。しかし、私はそのイメージは長い苦しみ、共有された不満としてよりも、この新しい物語を求める欲望によって、より解釈されるべきであると思います。

 ロジェ・カイヨワ[3]は彼の本の一つに次のように書いています。

 その寓話は現実の世界の横でそれを邪魔することも、その一貫性を破壊することもなく存在する素晴らしい宇宙である。いっぽうで、その空想的なものは現実の世界のなかで許容できないいくつかのスキャンダル、いくつかの断絶、いくつかの異常な侵入を暴きだす。・・・まぼろしはその空想的なものの鍵となる道具である。すなわち、特定の場所でかつ即席に、完全に理解されそこから謎は永久に追放されたかのようにみえる宇宙の中心で、それは起こりえないことであるにもかかわらず現れるのである。すべてが日常であるように見える。すなわち、平和で、平凡で、そしてそれについて何もおかしなものはない。

 私はこの空想的なものの定義がそれらのアーティストの写真によく適合すると確信しています。そしてそれは、まさにこの一節であり、この寓話の世界から空想の世界への突然変異であり、それらに充満する静謐さをかき乱す空気について説明してくれます。

 並外れた「正確さ」はこの意識とこの一節を養います。けれども、これは逆説的にアメリカの写真がその限界に達し、あるいは少なくとも打ち克つことの難しい障害に直面する地点でもあります。

 私がはじめにいったように、私たちは皆、彼らの特筆すべき技能に、この可視的なものの策略に魅了されてきました。とはいうものの、私があるいらだちの感覚を隠すことができない場合や、描写の過剰の結果としてのまなざしの感覚喪失の類に溢れ出すようなイメージに対しては、私はそれらが均衡点を欠落していると感じています。

 私にはこの側面が、ときどき狂気の段階に到達する、疑念の増加の本当の臨界点であるように思えます-まるでそれは一旦、正確さと深さの決戦に対する暗黙の合意によるすべてのために決定されてしまったかのように、ミダース王の奇跡[4]の類のように、写真で見るものすべてを金に変えるのです。

 あまりに頻繁な、正確さの措定(表現の構成要素のひとつとしてではなく、表現それ自体の方法としての)は、最近は写真のためのお葬式を行おうとしているように思えます—最近はその新鮮さとダイナミズムを喪失しているようです。私はもはや、幾度となく厳格に訴えかけることや、ほかの表現のシステムの進化を拒絶し、同一の手順により物事を見せるというそれ自体の深さや能力にもとづくまなざしを使用することが、十分なものではないと確信しています。

 『トリビューナ・イラストラータ』に掲載された、音楽について〔ジャン・〕ボードリヤールが書いたもののひとつに、あらゆるものが真実ではなくなることを見越して、消失点(ヴァニッシング・ポイント)について、ものの儚さについて話しています。私たちは皆、忠実度の高さに、あるいは音楽の演奏の質に夢中になっています。しかし、何が技術的洗練のレベルであり、高音質の閾値であり、どこを超えると音楽(またはなにか他のシステム)は存在しなくなるのでしょうか? 音楽は音楽によって存在しなくなったりしないでしょうが、どちらかというと、それはそれ自体の物質的性質の完璧さのなかで、それ自体の特殊効果のなかで存在しなくなるでしょう。

 それゆえに、私はおそらくもっとも甚大な危険性がこの消失点に眠っていると感じています。それはもはやシミュレーションの所在地でさえなく、ハイパーリアルやアナロジーでさえありません。どちらかというと、無感覚のまなざしの住処(ホーム)であり、可視性の過剰によって引き起こされます。このまなざしはあらゆる消費を行うのであり、少し猥褻なものでさえあり、同時に、物事や顔や風景が持ち続けている秘密の開示へのかすかな称讃も許さないある種の強迫的な視線を捉え可視化するために、すべてのものを見ようとしています。これを理由に、私は強制されたものと正確なアイデンティティについて省みることが重要であると確信しています。それは石に刻まれたように変わることなく現れます—結局のところ、私たちが知ったり、表現したりするであろうものが、物事や風景や私たちが暮らしている場所の表面にあるほんの小さなすり傷でしかないからです。

 

[1] オーストリア南東部の都市。

[2] ゲニウス・ロキgenius loci)はローマ神話における土地の守護精霊で蛇の姿で描かれることがある。欧米での現代的用法では、「土地の雰囲気」や「土地柄」を意味し、守護精霊を指すことは少ない。

[3] フランスの文芸批評家、社会学者、哲学者(1913-78)。

[4] ギリシア神話のミダース王は、触ったもの全てを黄金に変える能力のために広く知られている。