Views 1970-1979

和訳

“Views 1970-1979”

Ghirri, Luigi, 2017, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 40-2.

Ghirri, Luigi, 2017, Luigi Ghirri: The Map and the Territory, London: Mack, 250-1.

 

「眺め 1970-1979」

 

 この作品は、おそらく最初にとても広く興味の幅を持ったところから現われています。小さな矛盾と思われるかもしれませんが、私は他のすべての作品のための合流点であり出発点をここに見つけました。このシリーズでは、後の私の作品において、よりしっかりとした、あるいははっきりとした表現を見つけるための糸口と関係性があるどころか、もっとも凝縮された形でここに集められています。

 私はこの作品を「パズル」と呼ぶことができます。なぜなら、他の写真に訴えかける多くのピースがあるからであり、そしてまた、「コダクローム」に言及されたように、現実は構造化され、複雑で還元できないと考えているからです。このピースや写真の置き換えの概念には、私が他のさまざまなシリーズで採用してきた方法との類似点があります。

 パズルと同じように、私の作業は少しずつ読みやすい図像(イメージ)に系統的に再構築することです。それぞれのピースはそれらをはめわせるための慎重な作業、他のピースとの連動、測定と対比を要求しており、合わなければ、後で使用するために保存します。私が救出のひとつと呼ぶこの過程で、その森はどんどん侵入できなくなっていきます。

 最終的に、完成したイメージは決定的ではありませんし、謎(エニグマ)の解決策ではありません―完全なパズルとなるために、その存在の流れに再導入され、それ自体が復元されるさらなるピースになります。この意味で、私の作業は無意味に思えるかもしれませんが、それらをつなぎ合わせる意識のなかで、パズルの少なくとも一つのピースが転写されていることは事実です。

 それらの写真、記号、標識、語句、モノの多くでは、最初は動きなく、まるで自由落下に巻き込まれたかのように青い空を背景に写真が撮られていますが、それからそれらは地面にぶつかり、ばらばらな方向に散らばります。この過程の一環で、私はモノの後を追いかけ、その追跡の途中で別のモノ、空間、イメージに出くわします。しかしながら、これをゲームやテクニックとして読みとるべきではありません。なぜなら、このまなざしの断片化の類は、実際には、ピースが不特定な序列で存在し、他の図像体系(イメージ・システム)に属するピースと継続的に混ざりあっているところで起こるからです。

 この作品には、他のシリーズについての明瞭な説明はありません。しかし、私はすべてに共通するものがあると思っています。実際のところ、説明が完全に否定されてるように見えても、対象がそれ自体にまったく一致してるようだとしても、私は説明を完璧に避けることは不可能だと思います。私は写真を撮るとき、説明のなかで逃げることはできません。ストーリーのなかの個人とは、私が経験した瞬間に拒絶することができない歴史のようなものです。

 このシリーズは別の重要な作品「Italia ailati[1]」との類推(アナロジー)があります。そこで、後続するシリーズ(「In ScalaIn Scale〕」、そのほかを見よ)での他の写真における糸口、直感、合成存在を見ることができます。また写真それ自体にはっきりとした類推を持つ自然のフレーミングのような項目もみつけることができます。

 鏡への着目は、その問題に関する豊富な文献を考えると、これ以上の説明は必要ありません。しかしながら、その意義は自然のフレーミングにあります。それは私が提案する現実が実現する瞬間としての写真、あるいはフレーミングされた構造、窓枠、あるいは内外と開閉が調和した空間の形というすでに存在する写真を発見する瞬間としての写真です。ちょうど遠くの湖に向けられた望遠鏡が、私たちに見るよう誘うように、それらの自然のフレーミングは、私たちの視界と私たちの周りの物理的な世界で注目されている領域を活性化します。

 この特定の企画に関して、何よりも、ウォーカー・エヴァンス[2]の写真に、すでに行ったことの確認と継続する刺激を見つけました。エヴァンスは、私が他の誰よりも愛し、憧れるとともに、最も近しいと感じる写真家です。私が最初にエヴァンスの写真に出くわしたのは1975年ですが、それは私がしてきたこととしていることに加え、私の仕事のその後の発展のためにとっての原体験でした。私は、事前の推論の問題や視覚の発明(他の場所で言及)に関心を持ったことはありません―なぜなら、私は写真的言語がそれ自身の歴史性から意味を引き出すものであると信じているからです。そして、この理由のために、一致の瞬間は私の頭のなかにおいて再認識の避けられない瞬間となります。

 私はまたひとつの役割を確信しています。すなわち、時代遅れで、馬鹿げていて、不快でさえあるユニークな証人――アーティストです。写真家は、彼が持っているかもしれないどんな視覚も超えて、個人として彼自身の自律的な歴史を持っています(と思っています)。これを理由に、視覚を専門とする人として分類されないようにという私の要求とともに(私は私自身を眼鏡技師だとは考えません)、私は強制的に創造性を発揮するもの、あるいはユニークで優れた視覚の証明として、空白のページであるフレームを見ることを拒否します。

Luigi Ghirri, Milan 1979

 

[1] 「〈Italia ailati(辺境イタリア)〉はイタリアの風景が大きく変化した時期に撮られたシリーズです」(Ghirri, Luigi, A cura di Giulio Bizzarri e Paolo Barbaro con uno scritto biografico di Gianni Celati, 2010, Lezioni di fotografa, Mecerata: Quodlibet.(=2014,萱野有美訳『写真講義』みすず書房,67.)。

[2]  [1903- 1975]アメリカ合衆国ミズーリ州出身の写真家。