Atlas 1973

Ghirri, Luigi, 1979, “Atlante(1973)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 75.(2017, “Atlas 1973”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 38-9.)

 

「アトラス(世界地図帳) 1973」

 

 アトラスは本です。地球の特徴のすべてがある場所であり、山、湖、ピラミッド、海、都市、村、星といった自然のものから文化的なものまで、凡例にしたがって表現されています。こうした文字と描写のなかで、私たちは住んでいる場所、行きたい場所とその道のりを突き止めようとするでしょう。地図を行く旅は、まさに多くの作家にとって大切なことであり、子ども時代において、もっとも自然で精神的な行為のひとつです。アイデアやイメージの組み合わせは、私たちに地図を見させ、自動的にその残りの部分を想像させます。

 この作品で、私は旅自体を消し去ってしまう場所で旅をすることに尽力します——なぜなら、アトラスでは、できうるすべての旅はすでに書かれていますし、すべての旅行計画がすでになぞり写されているからです。「幸福の場所」――私たちの文学的歴史と希望のためのまさにかけがえないもの——はいまやすべてすでに記述されていますし、唯一残された可能な旅と発見とは、発見を再発見することであるようです。

 こうして、いま唯一可能な旅とは記号とイメージのなかにみつけられるものであるようです——直接的な経験の崩壊のなかにおいて。言葉の「海」は、私たちがすでに自分のものにした表現可能なイメージの世界に、私たちをすぐに連れ戻すことができます。それでも、すこしずつですが、文字が消えると、つまり私たちの目のまえに広がる経線と緯線——数値——が消え、「喚起された」風景が消えると、「自然の」ものがあらわれます。目の前で、まるで見えざる手がその本を現実と取り替えるように。

 写真は、現実と私たちの関係性をつねに変える力を持っており、問題の題材を別のものに変え、自然なものの「幻想的な」かたちを呼び起こしています。この場合において、現実と凡例にもとづく表現は一致するようであり、それらは意味作用の問題から「イメージすること」の問題へと移行します。それゆえに、その旅はイメージのなかに、本のなかに眠っているのです。

 イメージのなかで一致している二つのイメージ、あるいは一つの本のなかにおけるいくつもの本は、最もコード化された世界の中であっても私たちに開かれている無限の潜在的解釈へと、私たちを連れていきます。ウィリアム・ブレイク[1]の啓蒙的な言葉がすでに過去のものとなった全体の経験について物語っています。「知覚の扉が澱みないものとなったならば、すべてはそれすなわち無限として人間のまえにあらわれるであろう」と。

 

[1]イギリスの詩人、画家、銅版画職人(1757-1827)。