Catalogue 1970-1979

Ghirri, Luigi, 1979, “Catalogo(1970-79)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 69-70.(=2017, “Catalogue 1970-1979”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 29-30.)

————, 2017, Luigi Ghirri: The Map and the Territory, London: Mack, 134.

 

「カタログ 1970-1979」

 

 カタログとは、それ自体の定義によれば、似ているモノのイメージの集合体です。私は主に連続性を採用しますが、なぜならカタログとは基本的に連続のもの—モノの自然のアンサンブル—だからです。

 表面に私のまなざしの焦点を合わせながら、それと同時に、私はさらに不可避に私の目的や意図と対立する反復性を避けようとしました—第二の機械的見方をする観察者、現実の世界における同類のもの、実際には見る過程を難しくさせるものにおける過剰な繰り返しは、いらだつだけでしょう。

 「表面」というアイデアは写真の歴史では、〔アーロン・〕シスキンドの壁からブラッサイの落書きへ、近頃の都市の落書きの出現まで、終始中心的な問題関心でした。私はそのような記号を真似したくはありませんし、移し替えと同じ過程を実行したくありません(問題の現実の表面とは写真フィルムの表面です)。私の作品では、記号や心地の良い色彩を取り上げることよりも時間の動きが重要です—言いかえれば、表面の構造を観察することです。

 このシリーズの写真は物質的な表面—タイルや標識(マーク)のような—郊外や、都市や、家の壁に見られる—に焦点を合わせています。それらの表面はつねに、日常的に目にされたり経験されたりした、直接的なコミュニケーションがある平面なのです。この集合的なものとともに、都市の表面に向けられる一般的なまなざしとして、さらに私はインテリアのイメージに興味を持ちます。その表面はコミュニケーションのコードあるいはアイデンティティ〔の表象〕の契機となります。

 それらの写真のなかで、幾何学的に似ているものは建築的秩序のものであり、特に私自身の文化的風景と似ています。しかしながら、その全部の枠組みのなかでの、そのタイルの組み合わせや変化とは数えきれないものです。ある段階では、タイルで装飾された、しばしば質素—灰色に見える家、制限された色範囲で固定された均一的な風景です。それでも、降ろされたシャッターには、影の無限の組み合わせのための空間があります。

 私は作品のタイトルを私の選択で制限したくありませんでした。むしろ、私は、それぞれのパーツにある関係性やメカニズムの分解にある関係性を明らかにするために、増殖や、区別するための資料の建設や、視覚のつながりから発生する意味を提示しようとしました。

 ここに提示された連続性にはまさしく次の意図があります。まったく同じであると思われるものと明白である差異を比較することにより、私はまなざしの機械的な自然さや、繰り返しによってひきおこされる空虚な視覚のようなものや、私たちの周りの世界の読み取りやすさを故意に妨げるものの正体を暴こうとしました。「カタログ」では、どちらかというと見本のシリーズを示しており、私は物事を「活動的に」―空虚な視覚のような「受動的に」とは対照的に見ること―をスタートすることにより始まる、私たちの物事の知識とはどのようなものかを示そうとしました。

 文字通りの意味(車、トラック、器具、などの目録)でのカタログへの意志は、まるで私たちが第二のノアの箱舟のための書類を準備しているかのように、激増しました。それでも、モノ、ジェスチャー、そして人びとの蓄積において、私たちはより強い証書を集めていたり、あるいは証拠に相当する何かを蓄積していたりするのではありません。むしろ、カタログ化は抑制できない何かにとらわれたような活動のひとつであり、目で数えることだけ—まなざしの麻酔投与〔感覚喪失〕へと導きます。