The Land of Toys 1972-1979

Ghirri, Luigi, 1979, “Il paese dei balocchi(1972-1979)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 79.(=2017, “The Land of Toys 1979[1]”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 47.)

————, 2017, Luigi Ghirri: The Map and the Territory, London: Mack, 222.

 

「おもちゃの国 1972-1979」

 

 私はこの写真のシリーズを、『ピノッキオの冒険』を参照して、おもちゃの国と呼びました。ここでは、カルロ・コッローディの本と同じく、おもちゃの国は空間である、というよりかは空間たちであり、そこでは「日常」という次元は消えさります。そして私たちは現実が二重になり、縮尺が変動し、そして過去が再構成される領域へ旅に出るのかもしれません。要するに、私たちはファンタジーやおとぎ話の風景にいます。この新しいパノラマでは、かつて日常の慣行によって統治されていた世界は、私たちの目の前でバラバラになり、かわりに私たちは、終わることのない継承や普通の働く日のくりかえしのない、永遠の現在を見ます。

 それらのアミューズメント施設、あるいは日曜日の都市[リミニにある、イタリア・イン・ミニアトゥーラ〔模型のイタリアのテーマパーク〕のような]はとても写真に似ています。なぜなら(驚くべきことではありませんが)より多くの写真が他の曜日よりも日曜日に撮られているからだけではなく、写真が二重性の概念を要約し、縮尺の変化、瞬間のキャプチャーの変化を通じた空想的な旅であり、そしてそれを永遠に現在に戻すからです—なぜなら写真はジェスチャー、モノ、過去であるからです。

 もっとも強力なアナロジーは縮尺の変化であり、同じものは『ガリバー旅行記』や『不思議の国のアリス』のような話に見られます。その世界はおそらく最初に望遠鏡を通して現れ、それから顕微鏡の下に、あるいは拡大と縮小の両方で使われる双眼鏡を通して現れるかもしれません。いくつかの写真で私たちは、この「国」を支える骨組みと足場という、寓話のおもちゃのブロックを認めることができます。それでも、種明かしするとか魔術を奪うというよりかは、それらは幻想に寄与します。それらの枠組みはそれら自体の権利で空想的な構造になり、それらの遊び心を拡大し、私たちの毎日の慣行からの距離と差異の両方を明らかにすることになります。

 私はこのシリーズを森林の写真(ザルツブルクの自然の家ミュージアムで見つかったモデル)で終えます。なぜなら森が寓話やミステリーの究極の生息地であるだけでなく、それらの物語における、通り道が見つかるかもしれない場所だからです。

 

[1] 原文ママ