Catalogue 1970-1979

Ghirri, Luigi, 1979, “Catalogo(1970-79)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 69-70.(=2017, “Catalogue 1970-1979”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 29-30.)

————, 2017, Luigi Ghirri: The Map and the Territory, London: Mack, 134.

 

「カタログ 1970-1979」

 

 カタログとは、それ自体の定義によれば、似ているモノのイメージの集合体です。私は主に連続性を採用しますが、なぜならカタログとは基本的に連続のもの—モノの自然のアンサンブル—だからです。

 表面に私のまなざしの焦点を合わせながら、それと同時に、私はさらに不可避に私の目的や意図と対立する反復性を避けようとしました—第二の機械的見方をする観察者、現実の世界における同類のもの、実際には見る過程を難しくさせるものにおける過剰な繰り返しは、いらだつだけでしょう。

 「表面」というアイデアは写真の歴史では、〔アーロン・〕シスキンドの壁からブラッサイの落書きへ、近頃の都市の落書きの出現まで、終始中心的な問題関心でした。私はそのような記号を真似したくはありませんし、移し替えと同じ過程を実行したくありません(問題の現実の表面とは写真フィルムの表面です)。私の作品では、記号や心地の良い色彩を取り上げることよりも時間の動きが重要です—言いかえれば、表面の構造を観察することです。

 このシリーズの写真は物質的な表面—タイルや標識(マーク)のような—郊外や、都市や、家の壁に見られる—に焦点を合わせています。それらの表面はつねに、日常的に目にされたり経験されたりした、直接的なコミュニケーションがある平面なのです。この集合的なものとともに、都市の表面に向けられる一般的なまなざしとして、さらに私はインテリアのイメージに興味を持ちます。その表面はコミュニケーションのコードあるいはアイデンティティ〔の表象〕の契機となります。

 それらの写真のなかで、幾何学的に似ているものは建築的秩序のものであり、特に私自身の文化的風景と似ています。しかしながら、その全部の枠組みのなかでの、そのタイルの組み合わせや変化とは数えきれないものです。ある段階では、タイルで装飾された、しばしば質素—灰色に見える家、制限された色範囲で固定された均一的な風景です。それでも、降ろされたシャッターには、影の無限の組み合わせのための空間があります。

 私は作品のタイトルを私の選択で制限したくありませんでした。むしろ、私は、それぞれのパーツにある関係性やメカニズムの分解にある関係性を明らかにするために、増殖や、区別するための資料の建設や、視覚のつながりから発生する意味を提示しようとしました。

 ここに提示された連続性にはまさしく次の意図があります。まったく同じであると思われるものと明白である差異を比較することにより、私はまなざしの機械的な自然さや、繰り返しによってひきおこされる空虚な視覚のようなものや、私たちの周りの世界の読み取りやすさを故意に妨げるものの正体を暴こうとしました。「カタログ」では、どちらかというと見本のシリーズを示しており、私は物事を「活動的に」―空虚な視覚のような「受動的に」とは対照的に見ること―をスタートすることにより始まる、私たちの物事の知識とはどのようなものかを示そうとしました。

 文字通りの意味(車、トラック、器具、などの目録)でのカタログへの意志は、まるで私たちが第二のノアの箱舟のための書類を準備しているかのように、激増しました。それでも、モノ、ジェスチャー、そして人びとの蓄積において、私たちはより強い証書を集めていたり、あるいは証拠に相当する何かを蓄積していたりするのではありません。むしろ、カタログ化は抑制できない何かにとらわれたような活動のひとつであり、目で数えることだけ—まなざしの麻酔投与〔感覚喪失〕へと導きます。

The Land of Toys 1972-1979

Ghirri, Luigi, 1979, “Il paese dei balocchi(1972-1979)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 79.(=2017, “The Land of Toys 1979[1]”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 47.)

————, 2017, Luigi Ghirri: The Map and the Territory, London: Mack, 222.

 

「おもちゃの国 1972-1979」

 

 私はこの写真のシリーズを、『ピノッキオの冒険』を参照して、おもちゃの国と呼びました。ここでは、カルロ・コッローディの本と同じく、おもちゃの国は空間である、というよりかは空間たちであり、そこでは「日常」という次元は消えさります。そして私たちは現実が二重になり、縮尺が変動し、そして過去が再構成される領域へ旅に出るのかもしれません。要するに、私たちはファンタジーやおとぎ話の風景にいます。この新しいパノラマでは、かつて日常の慣行によって統治されていた世界は、私たちの目の前でバラバラになり、かわりに私たちは、終わることのない継承や普通の働く日のくりかえしのない、永遠の現在を見ます。

 それらのアミューズメント施設、あるいは日曜日の都市[リミニにある、イタリア・イン・ミニアトゥーラ〔模型のイタリアのテーマパーク〕のような]はとても写真に似ています。なぜなら(驚くべきことではありませんが)より多くの写真が他の曜日よりも日曜日に撮られているからだけではなく、写真が二重性の概念を要約し、縮尺の変化、瞬間のキャプチャーの変化を通じた空想的な旅であり、そしてそれを永遠に現在に戻すからです—なぜなら写真はジェスチャー、モノ、過去であるからです。

 もっとも強力なアナロジーは縮尺の変化であり、同じものは『ガリバー旅行記』や『不思議の国のアリス』のような話に見られます。その世界はおそらく最初に望遠鏡を通して現れ、それから顕微鏡の下に、あるいは拡大と縮小の両方で使われる双眼鏡を通して現れるかもしれません。いくつかの写真で私たちは、この「国」を支える骨組みと足場という、寓話のおもちゃのブロックを認めることができます。それでも、種明かしするとか魔術を奪うというよりかは、それらは幻想に寄与します。それらの枠組みはそれら自体の権利で空想的な構造になり、それらの遊び心を拡大し、私たちの毎日の慣行からの距離と差異の両方を明らかにすることになります。

 私はこのシリーズを森林の写真(ザルツブルクの自然の家ミュージアムで見つかったモデル)で終えます。なぜなら森が寓話やミステリーの究極の生息地であるだけでなく、それらの物語における、通り道が見つかるかもしれない場所だからです。

 

[1] 原文ママ

f/11, 1/125, Natural Light 1970-1979

Ghirri, Luigi, 1979, “Diaframma 11, 1/125, luce naturale(1970-1979)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 73-4.(=2017, “f/11, 1/125, Natural Light 1970-1979”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 34-6.)

 

「f11、1/125秒、自然光[1]

 

 このシリーズは、私の他の作品のように、その最初に設定される作成方法やはっきりとした作成期間さえありません。それは他の作品と一緒に並行して(そして交差するように)、トピックやテーマに関する大きなシリーズへの進行中の分析の部分として取りかかられており、それらへの直接的な関係性において明確にされました。特にこのアプローチは写真全体でそのまま高く評価されているテーマ—「人物〔写真〕の」ジャンルに適しているようです。

 写真の多くは報道のジャンルや、一般的に考えられている「アメリカ人の」写真の特定の種類に関連する可能性があります。しかしながら、私の意図はかなり異なります。

 一方で私は〔アンリ・〕カルティエブレッソンの理念を受けつけず、意味がないとか啓蒙的でないというのと同じその有名な「決定的瞬間」に反する論点を見つけます。実践的な視点から、これらの批判が理論的に聞こえたならば、新しいアメリカ写真のイメージ—〔リー・〕フリードランダーから、〔ゲイリー・〕ウィノグランドをとおり〔ジョエル・〕メイロウィッツへ、そしてポートレートや〔ウーゴ・〕ミュラスによる他の作品―を読むことは不可能でしょう。時間の経過に直接的に関係しない側面を扱うときでさえも、写真はいつもその写真の瞬間—本当の時間―と同時に起こる撮影者によって選ばれた内側の瞬間との一致においてそれ自体を表現します。作業を計画することは決定的瞬間を取り除きません。なぜなら、とても明確にされた選択や企画があったとしても、ハプニングの機会を除去することは不可能だからです。

 それゆえに私は一度「決定的瞬間」を避けられないものとして(明らかなことですがこれにより線形時間の概念の検閲をするのではありませんし、これはしばしば無意味な写真スケッチの詰合せに終わります)や、写真言語の内部構造の一部として受け入れ、私はかわりにイメージの連続にある関係性に集中しようとしました。すでに確立された物語がなくても、無作為に想像されたものさえなくても、そのシークエンスはなおそのうえにイメージたちのあいだでの相互関係の瞬間を促進させ、私がしていたことをはっきりさせてくれました。解放する言語としての写真という私の理解はおそらく重要な役を演じ、作品全体にあるコンセプトへのあらゆる種類の「検閲」を課すことから私を守りました。

 矛盾として現れるであろうルール(しかし、それは写真撮影という行為そのものによって課せられる制約です)のなかで自由を探すことにおいて、私は事前に、美的であるか言語的であるかどうか、骨を折る努力となる可能性のあるといったジャンルやスタイルの選択をしていること、そしてそのような選択は表現力や公平性の価値をともに喪失へと導くことに気づきました。したがって、私はことごとくジャンルやスタイルの選択を避けてきましたが、それらがその性質上断片的である言語(写真)をさらにバラバラにするかもしれないからです。

 私はつねに気配りや帰属意識に焦点を当てた世界を描き出すことにもっと興味を持っています。この制作についてよく参照することで、私は錯覚のように見えるもの、儚いもの、そして人びとの暮らしのなかで明らかに成文化されていない側面が前面に出ることにおけるあらゆるそれらの状況に興味を持ちました。余暇や気晴らしのような瞬間―特にそれらが写真を撮るという行為と似ているからです。ビーチでの、アミューズメント専用の空間における、人間—それらは人が日々のアイデンティティを欠いている瞬間であり、解放されたとか、束縛されていないとか、より本物の性格といったものを帯びます。

 このシリーズの写真で人びとがとるポーズ—凍った、ほとんど彫刻のような—は人々がそれ自身のマネキンになったといったことや、存在しなくなったといったことを提示するためのものではありません。むしろそれは、写真に撮られた人はつねに写真以上のものではないという考えを提示するためのものです。

 私はたくさんの人びとを彼らが絵や道路マップや行き先案内を見ているあいだに後ろから写真に撮りました。これについて、他の場合と同様に、撮影者から被写体へ、見られている人から見ている人になることへ、私はその人物に可能な限りのアイデンティティを与えようとしました。そこには私たちがつねに、その全体で、完全に理解していない、架空の背景や風景に対してセッティングされたイベントの役者であるという感覚があります。私たちが私たちのアイデンティティの一つを写真に預けるときでさえも、私たちはつねに難しいものであるアイデンティティへの探検を忘れるべきではありません。それゆえに、私は多様性の存在や、一つのイメージ以上で存在しているものに挑戦し、強調したいのです。このシリーズで、人びとがホリデースナップのためにポーズをとるとき、はっきりすることは、別のイメージの存在、私たちのものとよく似ているもの、しかしながら今まで見たことのないもの、そして私たちが見ることのできない絵はそれらがそれら自体を明らかにしたいと願うイメージを保持しているということです。

 このシリーズの終わりに向けて、写真は絞り(ダイヤフラム)、鏡、サイネージ、ガラスのシートの使用を通じた私の直接的な観察からだんだんと隠れる人びとを際だたせます。私は撮影者という私自身の立場を隠そうとはしません。私が写真を撮る瞬間、その光景はレンズの重なりを通過し、それら—ガラスのシートのような—は私に被写体をわずかに垣間見せます。私は生活の証拠をつかむ隠れた観察者というアイデアが嫌いです。同じく私は柔軟性のない目でいる感覚を、人類のその顔をまっすぐに見つめることを、キャスティングから逃れられないことを楽しみません。

 どちらかといえば、私はこのシアター—背景に対峙し、舞台の袖や、俳優とのあいだ—にいることを信じるほうを好みます。写真家としての私のルールは決して著作者としてのルール、記録者としてのルール、監督としてのルールではありません。私のルールは、私が撮った写真かどうかの見分けがついてはいけないということです。

 

[1] 「〈f11、1/125、自然光〉と名付けたのは、それが屋外撮影でフィルムが像を読み取る古典的な数値だからです」(Ghirri, Luigi, A cura di Giulio Bizzarri e Paolo Barbaro con uno scritto biografico di Gianni Celati, 2010, Lezioni di fotografa, Mecerata: Quodlibet.(=2014,萱野有美訳『写真講義』みすず書房,66.)。

Still-Life 1975-1979

Ghirri, Luigi, 1979, “STILL LIFE(1975-1979)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 86-7.(=2017, “Still-Life 1975-1979”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 56-7.)

 

静物 1975-1979」

 

 これらの写真において、その背景はその周囲の現実とは関係なく、むしろ理解されるために持続的な解釈を必要とする影、時間的徴候、モノの重なり、小さなイベントを通して行われる物質世界それ自体との対話にあります。

 そのタイトルによって与えられる提案に反して、そのイメージは静止したままではなく、現実と直接的な関係に置かれるときに、拡張された意味、第二の重要性を引き受けます。あるイメージでは、灰皿にあるたばこの吸い殻の合間から、その印刷された表面にダヴィデ像を確認することができます—これはダヴィデ〔像〕が彼自身の歴史と今日の彼の存在意義を表明するといった、ある活性化の瞬間です。別のイメージでは、その運命は単に装飾的であることが忘れられていた飾り皿に装飾してある風景が、その上に乗る双眼鏡によって息を吹き返します。まるでそれらが通じあい会話し、それ自体をそのまなざしに捧げているかのように。

 このシリーズでは、写真は意味の蓄積を通して操作する言語になります。そこで記号は象徴世界が物質世界を統合するときに、変化し進化し、第三の視界につながります。このコンセプチュアルな平面に、それらの写真は意味を割りあてられます—かつてあった瞬間とすでに存在するイメージの重ね合わせのなかで、それらの接続はお互いに新しい意味を生み出します。それは私がそれを知覚するように写真撮影それ自体の心のなかでの出来事です。

 受けとられる表現と新しい記録とのギャップにおいて、写真はこの他のイメージに屈服されることでそれ自体を贖い、無限の知覚の可能性を開いています。私はこのコレクションが物質世界の複製以上の何かを構成し、時間を止める光学装置に「捉えられた」イメージというよりも、どちらかといえばそれらが写真言語それ自体の自律性を示すことを確信しています。

Atlas 1973

Ghirri, Luigi, 1979, “Atlante(1973)”, Luigi Ghirri, Parma: Università di Parma, 75.(2017, “Atlas 1973”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 38-9.)

 

「アトラス(世界地図帳) 1973」

 

 アトラスは本です。地球の特徴のすべてがある場所であり、山、湖、ピラミッド、海、都市、村、星といった自然のものから文化的なものまで、凡例にしたがって表現されています。こうした文字と描写のなかで、私たちは住んでいる場所、行きたい場所とその道のりを突き止めようとするでしょう。地図を行く旅は、まさに多くの作家にとって大切なことであり、子ども時代において、もっとも自然で精神的な行為のひとつです。アイデアやイメージの組み合わせは、私たちに地図を見させ、自動的にその残りの部分を想像させます。

 この作品で、私は旅自体を消し去ってしまう場所で旅をすることに尽力します——なぜなら、アトラスでは、できうるすべての旅はすでに書かれていますし、すべての旅行計画がすでになぞり写されているからです。「幸福の場所」――私たちの文学的歴史と希望のためのまさにかけがえないもの——はいまやすべてすでに記述されていますし、唯一残された可能な旅と発見とは、発見を再発見することであるようです。

 こうして、いま唯一可能な旅とは記号とイメージのなかにみつけられるものであるようです——直接的な経験の崩壊のなかにおいて。言葉の「海」は、私たちがすでに自分のものにした表現可能なイメージの世界に、私たちをすぐに連れ戻すことができます。それでも、すこしずつですが、文字が消えると、つまり私たちの目のまえに広がる経線と緯線——数値——が消え、「喚起された」風景が消えると、「自然の」ものがあらわれます。目の前で、まるで見えざる手がその本を現実と取り替えるように。

 写真は、現実と私たちの関係性をつねに変える力を持っており、問題の題材を別のものに変え、自然なものの「幻想的な」かたちを呼び起こしています。この場合において、現実と凡例にもとづく表現は一致するようであり、それらは意味作用の問題から「イメージすること」の問題へと移行します。それゆえに、その旅はイメージのなかに、本のなかに眠っているのです。

 イメージのなかで一致している二つのイメージ、あるいは一つの本のなかにおけるいくつもの本は、最もコード化された世界の中であっても私たちに開かれている無限の潜在的解釈へと、私たちを連れていきます。ウィリアム・ブレイク[1]の啓蒙的な言葉がすでに過去のものとなった全体の経験について物語っています。「知覚の扉が澱みないものとなったならば、すべてはそれすなわち無限として人間のまえにあらわれるであろう」と。

 

[1]イギリスの詩人、画家、銅版画職人(1757-1827)。

The Vanishing Point 1987

Il punto di scomparsa, typewritten, read on the occasion of the roundtable discussion making the opening of the exhibition ‘Dialectical Landscape/Nuovo Paesaggio americano’, Palazzo Fortuny, Venice, April 1987.

「消失点」,タイプライターによる原稿,ヴェネツィアのフォルチュニイ宮で開催された「弁証法的風景/新しいアメリカの風景」展の開会式で行われた円卓会議の際に読まれた, 1987年4月.

Ghirri, Luigi, edited by Paolo Constantini and Giovanni Chiaramonte, 1997, Niente di antico sotto il sole: scritti e immagini per un’autobiografia, Torino: S.E.I..(=Ghirri, Luigi, 2017, “The Vanishing Point 1987”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 135-8.)

 

「消失点 1987」

 

 アメリカの写真について話すとき、特に今さまざまに新しい写真(フォトグラフィー)、新しい地形図(トポグラフィー)、新しい風景写真などと呼ばれているものについては、それに関係する問題を取り扱わせないようにする誘惑があり、認識できる参照範囲ではつねに蔓延っています。

 いっぽうで、アメリカの写真が明らかにするその歴史の分析、潜在的な引用と私たちが出会う〔ウォーカー・〕エヴァンス、〔ロバート・〕フランク、〔リー・〕フリードランダー、さらにさかのぼって、〔エドワード・〕ウェストン、〔ティモシー・H・〕オサリバン、〔ウィリアム・ヘンリー・〕ジャクソンらの名前―これらがゆえに、現在の写真家の作品はそれらの巨匠らの作品の単なる高品質の再生産としてレッテルを貼られています。その他方では、困惑するような肖像への信仰が、お世辞のような形容詞とともに議論され、その形式的な完璧さが称讃されています—ヨーロッパの写真では到達困難な表現の正確さと明快さによっていつも下支えされています。

 すぐにこのほとんどは記述的、分析的そして超現実的(ハイパーリアル)な写真に関する議論を展開し、そしてつねにそのトピックは、存在にある空虚、環境上の大規模災害、地球の苦難、解決しがたい自然と人工物との相違、あらゆる空間における人間の不在、大か小か、喪失への補填、そして孤独なアメリカ大陸に向けられます。アメリカの風景にある乱雑な空間の引用、「路上」から引用する詩のための背景の提供の華麗さは、必須です。グラーツ[1]での、アメリカとヨーロッパの写真についてのシンポジウムのために書いた文章のなかで、私はヨーロッパの思想に則った時間と歴史の考え方にある本質的な差異を下敷きにし、アメリカとヨーロッパの写真の根本的な差異とはどのようであるかについてと、私たちが「決定的空間」と呼びうるものとは対照的なものにあるアメリカの写真における強迫観念を指摘しました。いいかえれば、アメリカの写真は与えられた場所の解釈の特権化において、それ自体の正確なアイデンティティを見いだしているのかもしれないというアイデアを提示しました。

 それらの引用の脇で(それらはおそらく適切なのですが)、〔ウィリアム・〕エグルストン、〔スティーブン・〕ショア、〔ジョン・〕ゴセージ、そして〔アンセル・〕アダムスらが、どうやらまた別の視点を私に提供しつづけているようです。彼らの形式的な側面を超えて、それらアーティストの写真において今日もっとも私に興味を抱かせるものは、起こっている突然変異への感覚(センス・オブ・ミューテーション)を彼らが呼び起こす方法です—その世界の感覚、もはや居住不可能で知りえない感覚、ミステリアスに未知となった感覚、まるでマジックによる感覚、たとえそのまなざしが親しみのある場所を横目に動いているとしても介在する感覚。

 これは、空想科学(サイエンス・フィクション)を、あらゆる夢と空想のユートピアがすでに現実化してしまった私たちの世界の改作(ヴァージョン)を描きだすことを思い出させます—誰も見ていないうちに—まるで世界の皮膚を気づかれずに変えたかのような静かな突然変異の一種が起こったかのように、それは同時に可視的で不可視的にするために、まるで並外れた策略がアイデンティティを類似物(アナロジー)に転じさせたかのように。おそらく、それは私がもっとも魅了されるものであるアイデンティティと類似物とのあいだの溝(ギャップ)であり、まるでそれらは私たちと私たちが観察する風景とのあいだ、世界とその表象とのあいだにあるクモの巣のように繊細で薄い映画のフィルムのようです—逆説的ですが、そのものは私たちにはっきりと見せることをやめません。それどころか、めまいと正確さ、時間と空間とのバランスの中心点となります。

 私はこれがこの世代の写真家と過去のアメリカの写真家、あるいは少なくともそれ以前の世代との絶大な差異であると信じています。過去の写真家は、壮大な叙事詩の物語、発見のスリル、そして暴露の不思議さを信頼していました。その世界は彼らの目の前で二重に自由でありながら汚染されずに成立しており、黒い布の下からガラスの長方形のなかで見られ捉えられたりすることができる無垢な世界でした。

 この二重の自由は、偉大な寓話の創造、石を一つ残らずひっくり返して調べられたような土地の雰囲気(ゲニウス・ロキ)[2]への壮大な探究、フリードランダーの写真の表面に散らばる破片のなかで続く冒険、そして〔ダイアン・〕アーバスの閉ざされた人間性のために許されたのであり、彼〔アーバス〕のディズニーランドの城の夜景はアメリカの写真の寓話へのもっとも感動的なものと絶望的な結末を提示します。

 しかしながら、70年代は他の物語にもっとひきつけられているようです。なぜなら、彼らが目の前にしていたものが、もはやアイデンティティを定義したり、それを求めたりするという悩みの種ではなくなったからです。また、完全に、「歴史」に帰属するということや、分散する地理学の視覚的な記録を作るということでもありません。どちらかといえば、70年代の写真家は、前例のないアメリカ、という正反対の問題を抱えています。すなわち、彼らは新しい視覚的アルファベットを作り上げることを必要としているのであり、なぜなら、写真自体、映画の多くとともに、すでにそれらの地理学のまわりに十分な密度の「歴史的イメージ」ができあがっているからです。

 おそらく、アメリカの写真に初めて、展覧会のオーラがいきわたります—それら自体の場所が美術館のガラスケースになるとき、そこで風景とモノは白日の下にさらされる考古学的発見として見られます。しかし何よりも、説明に信用を、視覚と認識の権力に信頼を展示するのです。

 究極的には、それは現代アメリカの写真の贈り物のひとつを読むことができる場所の露見と発見とを結ぶ通路です。そしてこの多大な努力を要する任務で、70年代のアメリカの写真家は、特定のエピソードの偉大さを考えると多少の尊敬の念が無効になる可能性のある伝統を快く引き受けます。その挑戦に挑むことで、彼らは過去を統合することや、まなざしと視覚、アーティストの内部世界と描かれた外部世界を単一化する再開発の企画において、表現のさまざまな方法と意味を敷衍することを試みます。

 私はまた批判的な解釈の提供が可能であると信じています。あきらかなことに、いつもこの構成要素があり、そしてアーティストの何人かはそれを彼らの書き物で引用します。しかし、私はそのイメージは長い苦しみ、共有された不満としてよりも、この新しい物語を求める欲望によって、より解釈されるべきであると思います。

 ロジェ・カイヨワ[3]は彼の本の一つに次のように書いています。

 その寓話は現実の世界の横でそれを邪魔することも、その一貫性を破壊することもなく存在する素晴らしい宇宙である。いっぽうで、その空想的なものは現実の世界のなかで許容できないいくつかのスキャンダル、いくつかの断絶、いくつかの異常な侵入を暴きだす。・・・まぼろしはその空想的なものの鍵となる道具である。すなわち、特定の場所でかつ即席に、完全に理解されそこから謎は永久に追放されたかのようにみえる宇宙の中心で、それは起こりえないことであるにもかかわらず現れるのである。すべてが日常であるように見える。すなわち、平和で、平凡で、そしてそれについて何もおかしなものはない。

 私はこの空想的なものの定義がそれらのアーティストの写真によく適合すると確信しています。そしてそれは、まさにこの一節であり、この寓話の世界から空想の世界への突然変異であり、それらに充満する静謐さをかき乱す空気について説明してくれます。

 並外れた「正確さ」はこの意識とこの一節を養います。けれども、これは逆説的にアメリカの写真がその限界に達し、あるいは少なくとも打ち克つことの難しい障害に直面する地点でもあります。

 私がはじめにいったように、私たちは皆、彼らの特筆すべき技能に、この可視的なものの策略に魅了されてきました。とはいうものの、私があるいらだちの感覚を隠すことができない場合や、描写の過剰の結果としてのまなざしの感覚喪失の類に溢れ出すようなイメージに対しては、私はそれらが均衡点を欠落していると感じています。

 私にはこの側面が、ときどき狂気の段階に到達する、疑念の増加の本当の臨界点であるように思えます-まるでそれは一旦、正確さと深さの決戦に対する暗黙の合意によるすべてのために決定されてしまったかのように、ミダース王の奇跡[4]の類のように、写真で見るものすべてを金に変えるのです。

 あまりに頻繁な、正確さの措定(表現の構成要素のひとつとしてではなく、表現それ自体の方法としての)は、最近は写真のためのお葬式を行おうとしているように思えます—最近はその新鮮さとダイナミズムを喪失しているようです。私はもはや、幾度となく厳格に訴えかけることや、ほかの表現のシステムの進化を拒絶し、同一の手順により物事を見せるというそれ自体の深さや能力にもとづくまなざしを使用することが、十分なものではないと確信しています。

 『トリビューナ・イラストラータ』に掲載された、音楽について〔ジャン・〕ボードリヤールが書いたもののひとつに、あらゆるものが真実ではなくなることを見越して、消失点(ヴァニッシング・ポイント)について、ものの儚さについて話しています。私たちは皆、忠実度の高さに、あるいは音楽の演奏の質に夢中になっています。しかし、何が技術的洗練のレベルであり、高音質の閾値であり、どこを超えると音楽(またはなにか他のシステム)は存在しなくなるのでしょうか? 音楽は音楽によって存在しなくなったりしないでしょうが、どちらかというと、それはそれ自体の物質的性質の完璧さのなかで、それ自体の特殊効果のなかで存在しなくなるでしょう。

 それゆえに、私はおそらくもっとも甚大な危険性がこの消失点に眠っていると感じています。それはもはやシミュレーションの所在地でさえなく、ハイパーリアルやアナロジーでさえありません。どちらかというと、無感覚のまなざしの住処(ホーム)であり、可視性の過剰によって引き起こされます。このまなざしはあらゆる消費を行うのであり、少し猥褻なものでさえあり、同時に、物事や顔や風景が持ち続けている秘密の開示へのかすかな称讃も許さないある種の強迫的な視線を捉え可視化するために、すべてのものを見ようとしています。これを理由に、私は強制されたものと正確なアイデンティティについて省みることが重要であると確信しています。それは石に刻まれたように変わることなく現れます—結局のところ、私たちが知ったり、表現したりするであろうものが、物事や風景や私たちが暮らしている場所の表面にあるほんの小さなすり傷でしかないからです。

 

[1] オーストリア南東部の都市。

[2] ゲニウス・ロキgenius loci)はローマ神話における土地の守護精霊で蛇の姿で描かれることがある。欧米での現代的用法では、「土地の雰囲気」や「土地柄」を意味し、守護精霊を指すことは少ない。

[3] フランスの文芸批評家、社会学者、哲学者(1913-78)。

[4] ギリシア神話のミダース王は、触ったもの全てを黄金に変える能力のために広く知られている。

The World Caressed by Walker Evans 1985

Ghirri, Luigi, edited by Paolo Constantini and Giovanni Chiaramonte, 1997, Niente di antico sotto il sole: scritti e immagini per un’autobiografia, Torino: S.E.I..(=2017, “The World Caressed by Walker Evans 1985”, The Complete Essays 1973-1991, London: Mack, 99-102.)

訳・注は筆者による

 

「ウォーカー・エヴァンズに愛撫される世界 1985」

 

 一軒の古い家屋、影になっているポーチ、屋根瓦、昔のアラブ風の装飾、壁に寄りかかって座っている男、人気のない街路、地中海沿岸に見られる樹木(チャールズ・クリフォード撮影の「アルハンブラ」)。この古い写真(1854年)は私の心を打つ。私はひたすらここで暮らしたいと思う。・・・私にとって風景写真は(都市のものであれ田舎のものであれ)、訪れることのできるものではなく、住むことのできるものでなければならない。・・・そうした大好きな風景を前にすると、いわば私は、かつてそこにいたことがあり、いつかそこにもどっていくことになる、ということを確信する[1]

 

ロラン・バルト,『明るい部屋』,1980

 

 ロラン・バルトの意見は、ウォーカー・エヴァンズの作品へのアプローチには必要不可欠です。ばかげた表向きの歴史にもっとも軽視される写真家の一人ですが、彼は今世紀の写真においてもっとも重要な部分をはっきりと表現しています。

 この軽視はそもそもの目の悪さだけに起因するのではなく、エヴァンズの作品がひとつのジャンルに厳密になり、狭い分野となり果てることもなく、加えて偽りの神話や神話学や、便利なカテゴリーにも適さないという事実にも起因します。実際、エヴァンズは完全にひとりきりで仕事をした孤立した人物ですが、以前には知られてなかった意識、価値、深さを写真にもたらしました。

 彼は偉大な「古典」であり、ファッション、スタイル、歪曲、あるいはまぬけで表面的な発明からはかけ離れています。彼は慎ましい感性と前例のない品格を持って、空間、モノ、風景を私たちのまなざしにさらけ出す作業に専心する数少ない20世紀の写真家の一人です。

 私たちがエヴァンズの作品に本質的でないものに気づくことがないのは、私たちのまなざしへの解釈や妨害がないからであり、それゆえに、曲芸や無能なそぶりのない、強制的な形式のないアイデアと関わることができます。

 エヴァンズの作品において、私たちは自由なまなざしを持つことのみにより可能となる知識と単純さの絶妙なバランスに気が付き、そして規定の構造から解放されます。

 私たちが判断力喪失の感覚による写真の大多数—それらは私たちに関係のないイメージであり、私たちにとって必要不可欠ではないイメージである―を見るときに感じる別離の感情、本質的でないという感情。エヴァンズでは、これはまったくありません。彼の作品で私たちは愛情深い関係のなかに入り込み、ほとんど恋に落ち始めた段階のようです。その場所、空間、そして顔は、すぐに認識可能であり、親しみやすく、住むことができるものです。

 私たちがエヴァンズに抱く、暴力のない、衝撃のない、視覚的で感情的であるが、わざとらしさのないといったものは、世界に対する優しさの表明であり、統合と調和の感覚です。家の屋根から壁の文字まで、その風景[2]のどこかしこも、彼の愛情のこもった眼を経由した認識を待ち構えているようです。その家の向こうには、通時的にも一時的にも、亡命者への障壁はありません。

 歴史家は彼の作品にポップアートシュールレアリスム魔術的リアリズムミニマリズムの先取りといった多くのメリットを指摘するかもしれません。しかし、これらはどれもあまり重要ではありません。問題となるものはエヴァンズのイメージを作り上げる方法であり、それは厳密に遠近法的で正面を捉えながら、それらの明晰さと透明性を通して、厳密な幾何学的コードを遵守しつつも、このことを忘れるかのようです。彼の写真ではすべてのものが自然に見えます。砂漠や荒れ果てた土地のない、人間との特異な調和がある風景。彼はこの目標に到達するために光それ自体を用います。それは全体的かつ心奪うような方法で使われました。彼の現実あるいは彼の写真に暗い領域はありません。彼の現実、彼の写真は見ることと記述することのための言語であり、曖昧にすること、隠蔽、変容のためのものではありません。

 ルジェッロ・ピエラントーニ[3]は次のように書いています。

 

 すべてのものがまさしく影のところで、光輝く、完全なクリスタルに没頭しているようであり、光の不在を指摘するよりかは、一種の浅い眠り(光の眠り)としてそれを指摘する。光はどこにでも存在しているので、存在しないようであり、全宇宙のどこかから来ているようには思われない。それは空間との単純な共存である。それは起源も運命も持たない。

 

 この概念と光の使途は、おそらくヨーロッパにおけるエヴァンズの時間に接続されます—より正確には、それはイタリアのルネッサンスから借りてこられているかもしれません。しかし、私はこれが中断された時間と風景における静けさの表明であると言いたいのです。エヴァンズのイメージは、物事がお互いにそして私たちに慣れる以前には、それが創世の翌日のようであったに違いないことを喚起します。それゆえに、望遠鏡の水晶玉の孤独のなかではすべてのものがより明瞭になりますが、けれども何にもまして、より独自的で魔術的になるのです(ロベルト・ムージル[4])。

 彼の視覚は、抑制の単一基準、均衡状態への絶え間ない探究に注がれるものです。それは包摂すると同時に他のものを排除する視覚であり、なぜならそれが「暗い部屋〔カメラ・オブスクラ〕」の空間の調整と修正のなかで、外側の世界の表現ための均衡状態の規格を見つけるからです。

 自然なと人工的なのあいだに、何かとその他の再生産のあいだに矛盾はありません。これは何度も提示していることですが、エヴァンズは、私たちの精神機能を実行するツールは複合顕微鏡あるいはカメラのようなものとしておそらく表現されるというジーグムント・フロイトの主張を完全に準拠することによって、この困難を乗りこえます。私たちはエヴァンズの偉大さが、彼の自然さに、写真家や芸術家になるために何も放棄しないその個人にあることを理解すべきです。

 エドガール・モラン[5]が写真について次のように書いています。「それらは表現できないことを表現するという叶わない欲望を表現する」。それらは言葉で言い表せないもののためのパスワードです。しかし、おそらく言語の失語症よりも他の言語を話し記述するために、判断を下すことを避けるために、私たちは言葉を強要し呼び出すことについてエヴァンズの謙虚さを見る必要があります。

 作家のジャンニ・チェラーティ[6]はかつて私に、エヴァンズの写真は世界への愛撫であると言いました。

 

Gran Bazaar, n. 46, October-November 1985

 

[1] Barthes, Roland, 1980, La chambre claire: Note sur la photographie, Éditions de l'étoile, Gallimard, Le Seuil, Coll "Cahiers du cinéma".(=1997,花輪光訳『明るい部屋――写真についての覚書』みすず書房,52-3.)

[2] 挿入された図(Walker Evans Between Tuscaloosa and Greensboro, Alabama, 1936)のこと。

[3] イタリアの生物物理学者、心理学者、学者および政治家、音響および視覚学者(1934-)。

[4] オーストリアの小説家・劇作家・エッセイスト(1880-1942)。

[5] フランスの哲学者、社会学者(1921-)。

[6] イタリアの作家、翻訳者、文芸評論家(1937-2022)。